~~引用ここから~~
1: Cancer ★@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:04:22.82 ID:???.net
1: Cancer ★@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:04:22.82 ID:???.net
最初の農耕民は船乗りでもあった
Michael Balter, June 9, 2014 - 3:30pm
シリア、テル・ハルーラの初期農耕遺跡で見つかった古代の骨格(囲み)から採取されたDNAはヨーロッパへの農耕拡散が海洋ルートであったことを示した
http://news.sciencemag.org/sites/default/files/styles/thumb_article_l/public/sn-earlyfarmers.jpg
約10,500年前、中東の狩猟採集民は定住と作物耕作を始め、世界初の農耕民となった。
しかし2つの新しい論文は彼らが陸と海の両方を活動の場としていたことを示している。
新しい研究には、初めて報告された初期中東農耕民からの古代DNAが含まれる。古代人と現代人から採取されたDNAの研究は、農耕が沿岸ルートを通ってヨーロッパに広まったことを示した。農耕民は舟を使ってエーゲ海と地中海を島伝いに横切ったらしい。
考古学者たちは農耕が中東で起こり、その後ヨーロッパに広まったことを昔から知っていた。数百地点の初期遺跡の放射炭素年代が東から西に順に新しくなっているためだ。
だがそれは粗い見当にすぎない。近年、遺伝学者たちが現生と古代の人々のDNA配列を解読することによって詳細を埋めてきている。多くのヨーロッパの遺跡は比較的冷涼な条件で古代人骨格のDNAが残りやすい。だが中東はとても温暖で乾燥した環境のため、研究者たちは最初期の中東遺跡で見つかった多数の骨格のDNA配列解読に失敗していた。
そのため、少なくとも8000年前に始まっていた、中東からヨーロッパへの農耕拡散の最初期段階の理解には大きな空隙が残っている。
1990年代初頭からスペインのチームはシリアにある3つの古代農耕遺跡を発掘してきた。
そのうちいちばん古いものは10,500から10,000年前の年代にわたっている。まさに農耕革命の始まりのころだ。先週PLoS Genetics誌の中で、チームはこのテル・ラマド遺跡とテル・ハルーラ遺跡(上写真)から発掘された15骨格のミトコンドリア(生細胞のエネルギーユニット)DNA配列を部分的に解読したと報告した。これは初期中東農耕民から採取された古代DNAの初めての報告だ。
これらの古代集団から「[遺伝]データが利用可能になったのは明らかに凄いことだ」
とボルドー大学(フランス)の古遺伝学者、マリー=フランス・デギユー(Marie-FranceDeguilloux)は話した。彼女はそのようなDNA配列がヨーロッパへの農耕の拡散を追跡するのに「きわめて重用」だとつけ加えた。
論文の筆頭著者、リバプール・ジョン・ムーア大学(英国)の人類学者、エバ・フェルナンデス(Eva Fernandez)はチームの成功の秘訣を2つの要因に帰した。第一にシリアの農村の遺体は家屋の床下の穴に埋められ、厚い泥で封じられていた。それがシリアの夏の極高温から骨格を保護したと考えられる。第二に、骨格はこの穴から掘り出されてすぐに冷涼な保管庫に入れられた。それもDNAをさらなる分解から保護した。
>>2以降につづく
ソース:ScienceNOW(June 9, 2014)
First Farmers Were Also Sailors
http://news.sciencemag.org/archaeology/2014/06/first-farmers-were-also-sailors
原論文1:PLoS Genetics
Eva Fernandez, et al. Ancient DNA Analysis of 8000 B.C. Near Eastern Farmers Supports an Early
Neolithic Pioneer Maritime Colonization of Mainland Europe through Cyprus and the Aegean Islands.
http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004401
原論文2:PNAS
Peristera Paschou, et al. Maritime route of colonization of Europe.
http://www.pnas.org/content/early/2014/06/04/1320811111
プレスリリース:Universitat de Barcelona(06/06/2014)
Mitochondrial DNA of first Near Eastern farmers is sequenced for the first time
http://www.ub.edu/web/ub/en/menu_eines/noticies/2014/06/007.html
Michael Balter, June 9, 2014 - 3:30pm
シリア、テル・ハルーラの初期農耕遺跡で見つかった古代の骨格(囲み)から採取されたDNAはヨーロッパへの農耕拡散が海洋ルートであったことを示した
http://news.sciencemag.org/sites/default/files/styles/thumb_article_l/public/sn-earlyfarmers.jpg
約10,500年前、中東の狩猟採集民は定住と作物耕作を始め、世界初の農耕民となった。
しかし2つの新しい論文は彼らが陸と海の両方を活動の場としていたことを示している。
新しい研究には、初めて報告された初期中東農耕民からの古代DNAが含まれる。古代人と現代人から採取されたDNAの研究は、農耕が沿岸ルートを通ってヨーロッパに広まったことを示した。農耕民は舟を使ってエーゲ海と地中海を島伝いに横切ったらしい。
考古学者たちは農耕が中東で起こり、その後ヨーロッパに広まったことを昔から知っていた。数百地点の初期遺跡の放射炭素年代が東から西に順に新しくなっているためだ。
だがそれは粗い見当にすぎない。近年、遺伝学者たちが現生と古代の人々のDNA配列を解読することによって詳細を埋めてきている。多くのヨーロッパの遺跡は比較的冷涼な条件で古代人骨格のDNAが残りやすい。だが中東はとても温暖で乾燥した環境のため、研究者たちは最初期の中東遺跡で見つかった多数の骨格のDNA配列解読に失敗していた。
そのため、少なくとも8000年前に始まっていた、中東からヨーロッパへの農耕拡散の最初期段階の理解には大きな空隙が残っている。
1990年代初頭からスペインのチームはシリアにある3つの古代農耕遺跡を発掘してきた。
そのうちいちばん古いものは10,500から10,000年前の年代にわたっている。まさに農耕革命の始まりのころだ。先週PLoS Genetics誌の中で、チームはこのテル・ラマド遺跡とテル・ハルーラ遺跡(上写真)から発掘された15骨格のミトコンドリア(生細胞のエネルギーユニット)DNA配列を部分的に解読したと報告した。これは初期中東農耕民から採取された古代DNAの初めての報告だ。
これらの古代集団から「[遺伝]データが利用可能になったのは明らかに凄いことだ」
とボルドー大学(フランス)の古遺伝学者、マリー=フランス・デギユー(Marie-FranceDeguilloux)は話した。彼女はそのようなDNA配列がヨーロッパへの農耕の拡散を追跡するのに「きわめて重用」だとつけ加えた。
論文の筆頭著者、リバプール・ジョン・ムーア大学(英国)の人類学者、エバ・フェルナンデス(Eva Fernandez)はチームの成功の秘訣を2つの要因に帰した。第一にシリアの農村の遺体は家屋の床下の穴に埋められ、厚い泥で封じられていた。それがシリアの夏の極高温から骨格を保護したと考えられる。第二に、骨格はこの穴から掘り出されてすぐに冷涼な保管庫に入れられた。それもDNAをさらなる分解から保護した。
>>2以降につづく
ソース:ScienceNOW(June 9, 2014)
First Farmers Were Also Sailors
http://news.sciencemag.org/archaeology/2014/06/first-farmers-were-also-sailors
原論文1:PLoS Genetics
Eva Fernandez, et al. Ancient DNA Analysis of 8000 B.C. Near Eastern Farmers Supports an Early
Neolithic Pioneer Maritime Colonization of Mainland Europe through Cyprus and the Aegean Islands.
http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004401
原論文2:PNAS
Peristera Paschou, et al. Maritime route of colonization of Europe.
http://www.pnas.org/content/early/2014/06/04/1320811111
プレスリリース:Universitat de Barcelona(06/06/2014)
Mitochondrial DNA of first Near Eastern farmers is sequenced for the first time
http://www.ub.edu/web/ub/en/menu_eines/noticies/2014/06/007.html
引用元: ・【遺伝学】最初の農耕民は船乗りでもあった シリアの遺跡から古代DNA
スポンサーリンク2: Cancer ★@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:04:35.89 ID:???.net
>>1からのつづき
シリアの骨格のミトコンドリアDNA配列は、ドイツとスペイン両国のおよそ7000年前の農村から回収された古代DNAと、チームが「強い類縁性」と呼ぶものを見せた。これは中東の集団が実際に後のヨーロッパの農耕集団の起源となったことを確かめる成果だ。
フェルナンデスらによるともっと重用なことが、古代中東人のDNAを中東とヨーロッパの60の現代人集団のデータベースと比較したときに見つかった。その分析は現在キプロスとクレタに住む人々と密接な遺伝的類縁性があることを明らかにした。これは農耕民が、大陸を移動する前に最初に中東からギリシアとその島々に舟で移住したことを示唆する。
もっと北の代替ルート、現在のトルコを通ってヨーロッパに行く陸路はデータから支持されなかった。現代のトルコの集団にシリアの骨格と近縁な遺伝関係が見られなかったからだ。
フェルナンデスによると、このシナリオは過去20年間の考古学的発見からも支持されるという。ごく初期の農耕遺跡がキプロスで発掘されているが、それが大陸から押しやられた小さな集団のもの(たぶん人工圧や他の農耕民との競合のために)なのか、それとも海を渡ってヨーロッパに向かう大きな移住の始まりなのか、はっきりしていなかった。
「これは最初の農耕民が[大陸から60キロメートルの航海をするのに十分な舟と]十分な航海能力を間違いなく有していたことをほのめかす」とフェルナンデスは話した。
中東の農耕民が船乗りでもあった証拠は今日、米国アカデミー紀要オンライン版に発表された論文からも届いた。ワシントン大学(シアトル)の遺伝学者、ジョージ・スタマトヤノプロス(George Stamatoyannopoulos)率いるチームは、ギリシアとギリシアの島々、トルコ、ヨーロッパ、中東、北アフリカを含む、32の異なった現代人集団から964人のゲノムに含まれる75,000個の遺伝子マーカーを調べた。研究者たちは統計学的技術を使い、現在の集団間にある違いに基づいて集団の起源を追跡することに成功した。農耕がクレタ、ギリシアの島々、地中海北岸を通る海ルートでヨーロッパに拡散したことも分かった。
だが一つの問題について2つのチームに違いが出た。フェルナンデスグループの結論では、中東の農耕民が最初に拡散したのは、レバント沿岸(現在のイスラエル、レバノン、シリア)からだった。PNAS論文の著者たちによると、それは現在のトルコ南岸からだった。フェルナンデスによると、「両研究は[海ルートの点で]互いに支持し合う」が、違いがあるのは中東人の遺伝プロフィールが古代から変化しているためだという。彼女の考えでは、シリアから出た古代DNAのほうが、初期農耕民の遺伝学の信頼できる指標だという。
だが、外野の研究者たちは新しい古代DNAの研究結果について注意フラッグを掲げている。
シリアの15骨格のサンプルは初期中東農耕集団を代表させるには少なすぎる、とヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(ドイツ)の古遺伝学者、ギド・ブラント(Guido Brandt)は話した。そのような少数の部分的なミトコンドリアDNA配列で「中東のような人種のるつぼの遺伝的多様性が十分に探索できているか疑わしい」と彼は強く述べた。
デギヨーも同意する。彼女によると、農耕の海洋拡散を示す強い証拠があるが、現在のデータは農業のヨーロッパへの拡散が、陸路ルートを含む「複数起源」であった可能性を除外できないと話した。
おわり
~~引用ここまで~~シリアの骨格のミトコンドリアDNA配列は、ドイツとスペイン両国のおよそ7000年前の農村から回収された古代DNAと、チームが「強い類縁性」と呼ぶものを見せた。これは中東の集団が実際に後のヨーロッパの農耕集団の起源となったことを確かめる成果だ。
フェルナンデスらによるともっと重用なことが、古代中東人のDNAを中東とヨーロッパの60の現代人集団のデータベースと比較したときに見つかった。その分析は現在キプロスとクレタに住む人々と密接な遺伝的類縁性があることを明らかにした。これは農耕民が、大陸を移動する前に最初に中東からギリシアとその島々に舟で移住したことを示唆する。
もっと北の代替ルート、現在のトルコを通ってヨーロッパに行く陸路はデータから支持されなかった。現代のトルコの集団にシリアの骨格と近縁な遺伝関係が見られなかったからだ。
フェルナンデスによると、このシナリオは過去20年間の考古学的発見からも支持されるという。ごく初期の農耕遺跡がキプロスで発掘されているが、それが大陸から押しやられた小さな集団のもの(たぶん人工圧や他の農耕民との競合のために)なのか、それとも海を渡ってヨーロッパに向かう大きな移住の始まりなのか、はっきりしていなかった。
「これは最初の農耕民が[大陸から60キロメートルの航海をするのに十分な舟と]十分な航海能力を間違いなく有していたことをほのめかす」とフェルナンデスは話した。
中東の農耕民が船乗りでもあった証拠は今日、米国アカデミー紀要オンライン版に発表された論文からも届いた。ワシントン大学(シアトル)の遺伝学者、ジョージ・スタマトヤノプロス(George Stamatoyannopoulos)率いるチームは、ギリシアとギリシアの島々、トルコ、ヨーロッパ、中東、北アフリカを含む、32の異なった現代人集団から964人のゲノムに含まれる75,000個の遺伝子マーカーを調べた。研究者たちは統計学的技術を使い、現在の集団間にある違いに基づいて集団の起源を追跡することに成功した。農耕がクレタ、ギリシアの島々、地中海北岸を通る海ルートでヨーロッパに拡散したことも分かった。
だが一つの問題について2つのチームに違いが出た。フェルナンデスグループの結論では、中東の農耕民が最初に拡散したのは、レバント沿岸(現在のイスラエル、レバノン、シリア)からだった。PNAS論文の著者たちによると、それは現在のトルコ南岸からだった。フェルナンデスによると、「両研究は[海ルートの点で]互いに支持し合う」が、違いがあるのは中東人の遺伝プロフィールが古代から変化しているためだという。彼女の考えでは、シリアから出た古代DNAのほうが、初期農耕民の遺伝学の信頼できる指標だという。
だが、外野の研究者たちは新しい古代DNAの研究結果について注意フラッグを掲げている。
シリアの15骨格のサンプルは初期中東農耕集団を代表させるには少なすぎる、とヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(ドイツ)の古遺伝学者、ギド・ブラント(Guido Brandt)は話した。そのような少数の部分的なミトコンドリアDNA配列で「中東のような人種のるつぼの遺伝的多様性が十分に探索できているか疑わしい」と彼は強く述べた。
デギヨーも同意する。彼女によると、農耕の海洋拡散を示す強い証拠があるが、現在のデータは農業のヨーロッパへの拡散が、陸路ルートを含む「複数起源」であった可能性を除外できないと話した。
おわり
25: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 03:36:37.31 ID:a2eL8wXK.net
結局のところ>>2あるように古代DNAの方がデータソースとしては価値があるな。
論文の中身はサボり過ぎだと思うがww
論文の中身はサボり過ぎだと思うがww
5: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:21:23.71 ID:YQQoTr11.net
船の方が早い
稲作もそう
稲作は中国南部~ベトナム北部が起源らしい
これが日本に伝わるルートは二つ
・陸路で北上して、満州-朝鮮
・海路で上海-日本
陸路なら1000年ぐらい掛かりそうだが海路なら一気に日本に来れる
稲作もそう
稲作は中国南部~ベトナム北部が起源らしい
これが日本に伝わるルートは二つ
・陸路で北上して、満州-朝鮮
・海路で上海-日本
陸路なら1000年ぐらい掛かりそうだが海路なら一気に日本に来れる
10: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 21:26:58.84 ID:IQx0CJr5.net
>>5
実際、DNA解析でもジャポニカ米と雲南の稲には大きな類似性があるらしいね
実際、DNA解析でもジャポニカ米と雲南の稲には大きな類似性があるらしいね
13: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 21:59:37.18 ID:Rxum6Z5U.net
>>5
~12000年前:朝鮮半島集落跡より大陸半島石器人に海を渡る能力なし
12000年前:朝鮮半島の人類絶滅、朝鮮半島無人化
7000年前:縄文人が無人の朝鮮半島に渡来
4000年前:北方中国人が朝鮮半島へ侵入
日本の稲作
陸稲作6000年前~
水田稲作3000年前~
ロシア人+東南アジア人=日本人
日本人+中国人=韓国人
~12000年前:朝鮮半島集落跡より大陸半島石器人に海を渡る能力なし
12000年前:朝鮮半島の人類絶滅、朝鮮半島無人化
7000年前:縄文人が無人の朝鮮半島に渡来
4000年前:北方中国人が朝鮮半島へ侵入
日本の稲作
陸稲作6000年前~
水田稲作3000年前~
ロシア人+東南アジア人=日本人
日本人+中国人=韓国人
27: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 09:15:34.63 ID:aFquhCm6.net
>>13
そうなんだよね
日本から朝鮮に渡った物好きな奴らがいて
そいつらの中の男は全部◯されて、女は蛮族の男に強◯された
出来た子供が朝鮮人の祖先
今のチベットでも中国人が同じことやってるね
チベットの男性を皆◯しにはしてないけど、女性は中国人が全部奪った
そうなんだよね
日本から朝鮮に渡った物好きな奴らがいて
そいつらの中の男は全部◯されて、女は蛮族の男に強◯された
出来た子供が朝鮮人の祖先
今のチベットでも中国人が同じことやってるね
チベットの男性を皆◯しにはしてないけど、女性は中国人が全部奪った
7: 馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo @\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:30:13.90 ID:L4zVSQJX.net
どう考えても海路のほうが輸送路としてすぐれている。
海や川といった物流のやりやすい場所から都市が栄えたのは
間違いないだろ。陸路はそのあとできた。
海や川といった物流のやりやすい場所から都市が栄えたのは
間違いないだろ。陸路はそのあとできた。
8: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 19:46:15.75 ID:faBNUoTb.net
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
9: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 20:44:43.08 ID:VmgO0WiD.net
鉄道が出来るまで人類は水運以外にまともな輸送機関を持っていなかったから大都市はほとんど海岸か川岸に存在したそうな
馬車なんて王侯が乗る8頭立ての奴でも軽トラ以下の能力しかなかったっていうんだからお話にならない
そう考えると現代は歴史的にみても凄い時代なんだと思うね
エンジンの登場が人類史を変えた
馬車なんて王侯が乗る8頭立ての奴でも軽トラ以下の能力しかなかったっていうんだからお話にならない
そう考えると現代は歴史的にみても凄い時代なんだと思うね
エンジンの登場が人類史を変えた
37: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 08:48:39.69 ID:kzR88dXi.net
>>9
>大都市はほとんど海岸か川岸に存在した
文明が発生する要素だね、大河川の流域とは。
肥沃な大地によって得られる炭水化物で人口を養う
という前提があって、河川の氾濫や農地の測量から
発生する、幾何学や暦といった数学的な発達。
そして物流。
>大都市はほとんど海岸か川岸に存在した
文明が発生する要素だね、大河川の流域とは。
肥沃な大地によって得られる炭水化物で人口を養う
という前提があって、河川の氾濫や農地の測量から
発生する、幾何学や暦といった数学的な発達。
そして物流。
39: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 12:37:58.35 ID:RLzXdA3T.net
>>9>>37
ちなみにその話は
新大陸の都市文明を無視しているので
全くのナンセンスだと思うけどね
ちなみにその話は
新大陸の都市文明を無視しているので
全くのナンセンスだと思うけどね
12: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 21:56:24.19 ID:/q9gRoSc.net
http://www.plosgenetics.org/article/fetchObject.action?uri=info:doi/10.1371/journal.pgen.1004401.t001&representation=PNG_L
KとHとHVあるけど
K以外は異様に少ないな、代わりにR0が多い。
とすると、ちょっと気になることはある。
KとHとHVあるけど
K以外は異様に少ないな、代わりにR0が多い。
とすると、ちょっと気になることはある。
16: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 22:07:24.93 ID:/lcsMm8q.net
>>12
どういうこと?興味あるからもうちょっとだけわかりやすく説明おねがい
どういうこと?興味あるからもうちょっとだけわかりやすく説明おねがい
17: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 22:21:06.38 ID:/q9gRoSc.net
>>16
mtDNAのKはアイスマンでも見つかってる
典型的な初期農耕民としていい型なんで、
まぁ、これはとりあえずわかり易い。
Hの方はイベリア半島の北側なんかで見つかってるから
おそらくそれと同系統なんで、まぁこれも(割合が低いこと以外は)理解できる。
mtDNAのKはアイスマンでも見つかってる
典型的な初期農耕民としていい型なんで、
まぁ、これはとりあえずわかり易い。
Hの方はイベリア半島の北側なんかで見つかってるから
おそらくそれと同系統なんで、まぁこれも(割合が低いこと以外は)理解できる。
34: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 06:11:15.19 ID:lI5wB9Me.net
>>12
R0aとHVの現代の分布はこれ
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr3.jpg
アラビア半島ぐらいまでだと近東か中近東か微妙な感じ
とりあえず基本的にアラビア半島の根っこが深いことを考慮すると
初期シリア人がどういうものだったのかは考えたくなるところ
R0aとHVの現代の分布はこれ
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr3.jpg
アラビア半島ぐらいまでだと近東か中近東か微妙な感じ
とりあえず基本的にアラビア半島の根っこが深いことを考慮すると
初期シリア人がどういうものだったのかは考えたくなるところ
15: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 22:06:32.64 ID:/q9gRoSc.net
あぁ、なるほど。もう一個のほう見とけってことかww
25: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 03:36:37.31 ID:a2eL8wXK.net
>>15
もう一個の方は、現代人から推定したやつで
あんまり目新しいものじゃ無かった
もう一個の方は、現代人から推定したやつで
あんまり目新しいものじゃ無かった
20: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 23:21:23.87 ID:ygo+/mON.net
これで人類は海賊から進化したということが証明されたな
22: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 23:30:38.81 ID:sKy/ifuT.net
縄文海進の頃か。
クレタ島のミノア人も船使ってスペインに行ったぽいね。
牛追いなんて怪しすぎる。
クレタ島のミノア人も船使ってスペインに行ったぽいね。
牛追いなんて怪しすぎる。
26: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 07:31:15.23 ID:KH8gdgK7.net
古代クレタへの移住者の可能性があるのか
ミノア文明を創った人々が中近東からの移住者らしいというのは前からいわれていたはず
この遺跡から線文字Aが出てきたら確実なんだがそれは無理なんだろうな
というか線文字Aは資料すくな過ぎて解読不可能なんだろうか‥
ミノア文明を創った人々が中近東からの移住者らしいというのは前からいわれていたはず
この遺跡から線文字Aが出てきたら確実なんだがそれは無理なんだろうな
というか線文字Aは資料すくな過ぎて解読不可能なんだろうか‥
32: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/12(木) 04:21:53.44 ID:cSGlLWlr.net
>>22>>26
とりあえずルートが
Druze → カッパドキア → ドデカネス諸島(東ルメリア?) → クレタ、シチリア、サルディーニャ → トスカーナ
になってるからなww
そんでもって地中海バリア
とりあえずルートが
Druze → カッパドキア → ドデカネス諸島(東ルメリア?) → クレタ、シチリア、サルディーニャ → トスカーナ
になってるからなww
そんでもって地中海バリア
38: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 12:31:15.11 ID:RLzXdA3T.net
>>32
http://3.bp.blogspot.com/-PAxz6_ZQ26A/U5aR-CiJjzI/AAAAAAAAJog/tSO8H-TVWPU/s1600/paschou.jpg
Fig. 1 . Genes mirror geography around the Mediterranean coast.
http://3.bp.blogspot.com/-PAxz6_ZQ26A/U5aR-CiJjzI/AAAAAAAAJog/tSO8H-TVWPU/s1600/paschou.jpg
Fig. 1 . Genes mirror geography around the Mediterranean coast.
28: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 16:32:39.77 ID:03DTSxK/.net
┌
│現在のトルコを通ってヨーロッパに行く陸路
│はデータから支持されなかった。現代のトルコの集団に
│シリアの骨格と近縁な遺伝関係が見られなかったからだ。
└
単にアナトリアで住民が入れ替わっただけじゃないか?
アナトリアの現代人の祖先は中世には中央アジアに居たんだろ。
│現在のトルコを通ってヨーロッパに行く陸路
│はデータから支持されなかった。現代のトルコの集団に
│シリアの骨格と近縁な遺伝関係が見られなかったからだ。
└
単にアナトリアで住民が入れ替わっただけじゃないか?
アナトリアの現代人の祖先は中世には中央アジアに居たんだろ。
40: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 14:24:23.37 ID:9Cfgik8O.net
>>28
アナトリアでは、ヒッタイト滅亡等があって民族の入れ替えはありそうだもんな。
日本のアナトリア考古学研究所がやっているカマン・カレホユック遺跡でも小柄なアッシリア人と
大柄なヒッタイト人と思しき遺体をそれぞれ見つけていて民族交代があったことが推定されている。
現在のトルコ人の主流は、セルジュークトルコ以降の中央アジアから来たトルクメニスタン系だろうから
今の連中と当時の連中の連続性が少なくても不思議ではないと思う
アナトリアでは、ヒッタイト滅亡等があって民族の入れ替えはありそうだもんな。
日本のアナトリア考古学研究所がやっているカマン・カレホユック遺跡でも小柄なアッシリア人と
大柄なヒッタイト人と思しき遺体をそれぞれ見つけていて民族交代があったことが推定されている。
現在のトルコ人の主流は、セルジュークトルコ以降の中央アジアから来たトルクメニスタン系だろうから
今の連中と当時の連中の連続性が少なくても不思議ではないと思う
41: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 21:47:08.11 ID:RLzXdA3T.net
これみる限り>>28>>40は
特に根拠のない妄想だよね?
http://www.plosgenetics.org/article/fetchObject.action?uri=info:doi/10.1371/journal.pgen.1004401.g003&representation=PNG_M
特に根拠のない妄想だよね?
http://www.plosgenetics.org/article/fetchObject.action?uri=info:doi/10.1371/journal.pgen.1004401.g003&representation=PNG_M
29: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 18:28:27.47 ID:WRtbKjXi.net
当時の人間にしたら、良い土地があれば耕す、海があれば
渡る・魚を採るってだけ。
今の感覚の農民・漁民なんて区別はない。
渡る・魚を採るってだけ。
今の感覚の農民・漁民なんて区別はない。
30: 馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo @\(^o^)/ 2014/06/11(水) 19:19:27.65 ID:VhxARV3a.net
セルジュークトルコか
すべて入れ替わることはないだろう
混血もあるし
すべて入れ替わることはないだろう
混血もあるし
33: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/12(木) 04:35:20.63 ID:cSGlLWlr.net
とりあえずシリアに古いタイプの住民がいるという予想は
ほぼ間違いない推定ってことか
どっちかっていうと母系になんでこんなに偏りがでたかってことで
海上ルートの入植が男中心だったからな気はするね
というかHの拡大はそこそこ後の方なんだろうな
ほぼ間違いない推定ってことか
どっちかっていうと母系になんでこんなに偏りがでたかってことで
海上ルートの入植が男中心だったからな気はするね
というかHの拡大はそこそこ後の方なんだろうな
23: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/06/11(水) 00:31:54.52 ID:ppLuf06y.net
海から来た神という神話は多い
そういうのも記憶の伝承なんだろうな
そういうのも記憶の伝承なんだろうな
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