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出土

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~~引用ここから~~

1: かじりむし ★@\(^o^)/ 2014/06/10(火) 00:38:43.64 ID:???0.net
「卑弥呼の鏡」再現…成分まで分析し忠実に
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140606-OYT1T50240.html
読売新聞 2014年06月09日 17時22分


 「卑弥呼の鏡」ともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が埼玉県内で唯一出土している同県東松山市が、復元鏡を作製した。実物から採取した試料の成分を分析し、忠実に再現した。

 11日まで市埋蔵文化財センターで公開しており、市の担当者は「1700年以上前の人々が見た輝きを、ぜひ感じてほしい」と話す。

 同市の三角縁神獣鏡は2011年、高坂古墳群から出土し、古墳時代初めの250~260年頃に鋳造されたものと判明した。陳氏が作ったと刻まれ、4体の神像と2匹の獣像が描かれているため、「三角縁陳氏作四神二獣鏡」と名付けられた。文様のある側が裏で、表側は鏡としての役割を果たす。大和王権と関わりのある人物がこの地域にいたことを示す貴重な史料としても注目される。

続きはソースで

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20140606/20140606-OYT1I50042-L.jpg
写真:高坂古墳群から出土した三角縁神獣鏡(左)と、銀色の輝きを放つ復元鏡
~~引用ここまで~~


引用元: 【歴史】「卑弥呼の鏡」再現…成分まで分析し忠実に [6/9]

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1: 伊勢うどんφ ★ 2014/02/25(火) 22:03:34.56 ID:???
 「弥生のタイムカプセル」と呼ばれる滋賀県守山市の下之郷(しものごう)遺跡から出土した石剣の握り部に使われていた植物が、サクラの樹皮であることが、佐藤洋一郎・京都産業大教授らの調べで22日までに分かった。
弓の握り部などに樹皮による加工がほどこされた例は縄文時代から見られるが、樹種が特定されたのは初めてという。
サクラは現在も県内に分布するエドヒガンの可能性が高く、同市教委は「弥生時代から湖国ではサクラが身近な植物だったのでは」と話している。

 石剣は守山市教委が2005年に行った調査で、集落西側の環濠(かんごう)から出土した。
保存状態が良く、握り部に巻き付けられていた幅4ミリの樹皮の細工が残っていた。
花森功仁子・東海大講師が樹皮に残る葉緑体のDNAを調べた結果、サクラと分かり、ソメイヨシノの原種の一つエドヒガンのDNAとほぼ一致した。
同遺跡からは、幅約9センチの帯状に薄くはいだサクラの樹皮も数点見つかっており、遺跡内で樹皮を加工していたとみられる。

 エドヒガンは各地で樹齢数百年の古木が見られ、滋賀県では高島市で135本が生えるほか、湖北の山中にも多数分布している。
佐藤教授は「日本人の桜をめでる習慣はソメイヨシノとともに江戸時代から広まったとされるが、農耕の始まった時代から暮らしに深くかかわっていたかもしれない」と話している。

 26日から3月10日まで、同市下之郷1丁目の下之郷史跡公園で石剣を展示する。詳細はソースで。

【下之郷遺跡】 弥生時代中期(紀元前2世紀ごろ)の環濠集落の遺跡。壁立式建物跡や武器などのほか、豊富な地下水に浸されたことで炭化していないモミやウリなどの遺物が多数出土している。
弥生人の生活や当時の自然環境を知る遺跡として国史跡に指定されている。

11

2014年02月23日 08時59分配信
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140223000017

石剣の握りにサクラの樹皮を使用、樹皮に残る葉緑体のDNAから判明…守山・下之郷遺跡の続きを読む

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1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2014/02/12(水) 16:34:29.72 ID:???0
★縄文人骨91体 ルーツ解明に期待
2月11日 8時54分

2

日本人はどこから来たのか。この壮大なテーマの解明に欠かすことのできない資料が、富山市の縄文時代前期の貝塚から出てきました。
貝殻の層の中に残されていた、91体の人骨。そして、土器や石器、木製品など大量の出土品。
その分析を通じて、謎の多い縄文前期の人々のルーツや暮らしぶりが、明らかになりつつあります。
(写真はいずれも富山県文化振興財団提供)

◆6000年前の人骨が次々と
「ふだん骨を見ることなんてないのに、ここでは掘り下げるたびに次々と出てくる」。
富山県文化振興財団・埋蔵文化財調査事務所の町田賢一さんは、骨が多すぎて現場では個体数が把握できなかったと言います。

大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。
北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。
今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。
同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。
1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
今回、1つの遺跡の調査だけで、その総数を上回ってしまいました。
犬の骨も、可能性の高いものも含め、21体も見つかっています。
なぜこれだけの量の骨が残されていたのか。
日本の土壌は酸性で、土に埋まった状態では多くは溶けてしまいます。
しかしここでは、貝殻のカルシウムが、骨を良好な状態で残してくれたのです。(以下略)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/k10015167891000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/K10051678911_1402110901_1402121602_01.jpg

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1: TEKKAMAKI(秋田県) 2014/01/05(日) 00:21:07.82 ID:Qgaf8hVJ0 BE:761865236-PLT(12123) ポイント特典
東日本大震災の被災地で高台移転事業が本格化する中、宅地などの造成工事で出てきた遺跡の発掘調査が進んでいる。

【画像】
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140104/trd14010422240011-p1.jpg


多様な年代の遺跡が見つかり、資料の乏しい中近世の空白を埋めるほか、奥州藤原氏との新たな関係性を示す出土品もあり、歴史の通説を覆す可能性も指摘されている。津波で大きな被害を受けたふるさとの歴史を掘り起こす思わぬ副産物に被災者らの期待も高まる。(高木克聡)

 岩手県大船渡市三陸町で昨年12月中旬、発掘された戦国時代のものとされる城館「小出館(こいでたて)」の遺跡発掘調査の説明会が開かれた。

 市によると、遺跡からは、鉄粉など製鉄施設の跡や高価な陶磁器、銅銭などが発見され、担当者も「交易などで富を得た豪族がいたのでは」と推測する。 

 大船渡市をはじめとする県沿岸部の三陸地方では、めまぐるしく勢力図が塗り替えられた戦国時代前後の文書などがほとんど残存していない。
三陸町でも南北朝時代以降から江戸時代にかけての歴史は空白のままで、地域を治める豪族の名前すら不明だ。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140104/trd14010422240011-n1.htm

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大震災で土地が無いので造成してたら戦国武将の城跡発掘したの続きを読む
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