1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2014/02/12(水) 16:34:29.72 ID:???0
★縄文人骨91体 ルーツ解明に期待
2月11日 8時54分
日本人はどこから来たのか。この壮大なテーマの解明に欠かすことのできない資料が、富山市の縄文時代前期の貝塚から出てきました。
貝殻の層の中に残されていた、91体の人骨。そして、土器や石器、木製品など大量の出土品。
その分析を通じて、謎の多い縄文前期の人々のルーツや暮らしぶりが、明らかになりつつあります。
(写真はいずれも富山県文化振興財団提供)
◆6000年前の人骨が次々と
「ふだん骨を見ることなんてないのに、ここでは掘り下げるたびに次々と出てくる」。
富山県文化振興財団・埋蔵文化財調査事務所の町田賢一さんは、骨が多すぎて現場では個体数が把握できなかったと言います。
大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。
北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。
今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。
同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。
1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
今回、1つの遺跡の調査だけで、その総数を上回ってしまいました。
犬の骨も、可能性の高いものも含め、21体も見つかっています。
なぜこれだけの量の骨が残されていたのか。
日本の土壌は酸性で、土に埋まった状態では多くは溶けてしまいます。
しかしここでは、貝殻のカルシウムが、骨を良好な状態で残してくれたのです。(以下略)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/k10015167891000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/K10051678911_1402110901_1402121602_01.jpg
2月11日 8時54分
日本人はどこから来たのか。この壮大なテーマの解明に欠かすことのできない資料が、富山市の縄文時代前期の貝塚から出てきました。
貝殻の層の中に残されていた、91体の人骨。そして、土器や石器、木製品など大量の出土品。
その分析を通じて、謎の多い縄文前期の人々のルーツや暮らしぶりが、明らかになりつつあります。
(写真はいずれも富山県文化振興財団提供)
◆6000年前の人骨が次々と
「ふだん骨を見ることなんてないのに、ここでは掘り下げるたびに次々と出てくる」。
富山県文化振興財団・埋蔵文化財調査事務所の町田賢一さんは、骨が多すぎて現場では個体数が把握できなかったと言います。
大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。
北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。
今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。
同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。
1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
今回、1つの遺跡の調査だけで、その総数を上回ってしまいました。
犬の骨も、可能性の高いものも含め、21体も見つかっています。
なぜこれだけの量の骨が残されていたのか。
日本の土壌は酸性で、土に埋まった状態では多くは溶けてしまいます。
しかしここでは、貝殻のカルシウムが、骨を良好な状態で残してくれたのです。(以下略)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/k10015167891000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/K10051678911_1402110901_1402121602_01.jpg
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